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分析と爆発のあいだ

青春病よ、永遠なれ【藤井風「旅路」】

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青春を描く、双子の曲、
「青春病」と「旅路」。

対になる2曲だ。狂おしいほど大好きな二曲だが今回ははやる気持ちを抑えて冷静に分析なるものをしたい。

先に結論を言ってしまおう。

「旅路」とは、かつての少年が、いつか患った「青春病」を顧みる歌なのである。

この記事では、双子の歌から「青春」を読み解いていく。ぜひ青春の病を患いながら読んでほしい。

 

「青春病」は、こんなフレーズから始まる。

青春の病に侵され
儚いものばかり求めて
いつの日か粉になって散るだけ
青春はどどめ色
青春にサヨナラを
("青春病" / 藤井風)

青春という病を患った自分に対する迷いや嫌悪、焦りを描いているのが「青春病」だ。

君の声が 君の声が
頭かすめては焦る
こんなままじゃ こんなままじゃ
僕はここで息絶える
("青春病" / 藤井風)

煮え切らない主人公は、青春の儚さに気づき、絶ち切ろうともがく。いつか粉になって散るだけと気づきながらも、儚いものばかりを求めてしまう。「若さ」に翻弄される。

 

 

月日がたち、主人公が旅立つ時がくる。それは大学進学かもしれないし、就職かもしれない。実家を出て上京するのかもしれない。

出発する前に、ほろ苦い青春の日々を思い出したのだろうか、「旅路」は、こんな歌詞から始まる。

あの日のことは忘れてね
幼すぎて知らなかった
恥ずかしくて消えたいけど
もう大丈夫 旅路は続く

あの日のことは忘れるね
みんなだって彷徨ってた
この宇宙が教室なら
隣同士 学びは続く
("旅路" / 藤井風)

「青春病」のMVに出てきた少年たちが、イタい出来事をお互いに思い返して、無理やり忘れあう、そんな会話が交わされる。「あの日のこと、忘れてな」「わかってるよ、お前も俺があの子を好きだったこと、早く忘れてくれよ」「いやそれは忘れねえよw」「なんでだよ恥ずかしいわw」「こっちまで恥ずかしいわ汗出てきたw」......

 

 

旅路に就く。一人になる。かつての少年は、走り続けた日々を想う。

止まることなく走り続けてきた
本当はそんな風に思いたいだけだった
ちょっと進んでまたちょっと下がっては
気付けばもう暗い空
("青春病" / 藤井風)

止まることなく走り続けてゆけ
何かが僕にいつでも急かすけど
どこへ向かって走り続けんだっけ
気付けばまた明ける空
("青春病" / 藤井風)

「青春」を走り続ける間、周りのことは何も見えなかった。

そうか 結局は皆つながってるから
さみしいよね 苦しいよね なんて
自分をなだめている暇なんてなかった
("青春病" / 藤井風)

行ったり来たり、進んだり後ずさりしたり。前に進んでいたかすらも怪しい。いくつもの夜を悶々として過ごし、ため息も漏らしながら、乗り越えた。そんな儚い青春は、終わったはずだった。

青春のきらめきの中に
永遠の光を見ないで
いつの日か粉になって知るだけ
青春の儚さを
("青春病" / 藤井風)

青春のさなか、あると信じていた、というか、信じたかった「永遠」はなかった。青春は終わったのかもしれない、そう思っていた。

でも、終わっていなかった。旅に出た今も、青春の真っただ中だ。ある意味、みんなが少年のままなのだ。「旅路」では、その様子が、生き生きと描かれている。

お元気ですか
この町は相変わらず青春です
誰もがみな走ってます
まだ見えない旅路の先へ
("旅路" / 藤井風)

お元気ですか
僕たちはいつになれど少年です
心の奥底ではいつも
永遠を求めています
("旅路" / 藤井風)

 

 

永遠なものはない、この事実が人間の精神を一番かき乱し狂わせる。別れとか終わりとか死とかその他もろもろ俺たちを「永遠」から引きはがそうとしてくる奴らが許せない。そんな心の狭い俺にも藤井風は優しい視線を向けてくれる。

果てしないと思っていたものが
ここにはないけど
目にした 手に触れてきた
すべてに意味はあるから
("旅路" / 藤井風)

そう、ここが藤井風が紡ぐ歌詞の一番いいところだ。救われる思いと自分の器の小ささに死にたくなる気持ちが一気に来る。「永遠に続く」と酔いしれた苦い過去を否定せず、すべてに意味があると受け止めてくれる。我々のすべてを肯定してくれる歌詞。 Fujii Kaze の真骨頂。優しい。優しさに震えた......

果てしないと思えても
いつか終わりがくると
知らなかった昨日までより
優しくなれる気がした
("旅路" / 藤井風)

「終わり」がくることを理解したくなくても、いずれは、目を背けられなくなる時が来る。かつての少年は、大人になるしかなかった。でも、「永遠」は叶わなかったが、その代わりに、優しくなれた。

「終わりを意識することで、毎日をより善く生きることができる」常々感じていることが、藤井風に歌われてしまうと、心の中まで入り込んでくる。素直に従うしかない。完全降伏にて完全幸福。

 

 

あーあ いつの間にか
この日さえも懐かしんで
すべてを笑うだろう
すべてを愛すだろう
("旅路" / 藤井風)

あーあ 僕らはまだ
先の長い旅の中で
誰かを愛したり、忘れたり
いろいろあるけど

あーあ これからまだ
色んな愛を受け取って
あなたに返すだろう
永遠なる光の中
すべてを愛すだろう
("旅路" / 藤井風)

少年が少年でなくなっても、青春はどこまでも続く。抜け出したいと焦った「青春」とある意味折り合いをつけて、すべてを愛せるようになったとき、少年は本当の意味で「大人」になる。

 

 

「青春病」は青春の儚さを歌った歌なら、
「旅路」は青春の永遠をつづった歌で、

「青春病」が青春から抜け出そうとする歌なら、
「旅路」は青春をすべてひっくるめて受け止める歌。

私は、このどちらの歌も受け止めたいし、大事にしたいと思う。

藤井風、超愛してる。

(この記事は2021/03/01に投稿したnoteを再度修正・追記し収録したものです)