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分析と爆発のあいだ

【備忘録】『Mr.Children GIFT for you』を観てきました

Mr.Children GIFT for you』を観てきました。親友と二人で行ったんですけど、彼を置いてけぼりにして一人で号泣してた。ちゃんとまとまった文章ではないけれど、忘れないように、感じたことを置いておきます。100%ネタバレなのでまだ観てない人は注意


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映画は、ツアー「半世紀へのエントランス」のライブ映像とファンのコメントを交互に流す形で進んでいく。

セットリスト

1. 終わりなき旅
2. Brand new planet
3. innocent world
4. Any
5. シーソーゲーム
6. 口笛
7. 彩り
8. Documentary film
9. エソラ
10. Your Song(弾き語り)
11. GIFT
12. 生きろ

(正確にはほかのツアーのライブ映像も一部流れたけれど、フル尺でライブ映像が流れたのはこの12曲。)

『Any』『GIFT』『生きろ』この3曲がものすごく胸を揺さぶった。それはきっとこの3曲が「人生」とか「生きること」について限りなくリアルに描写しているからだと思う。でも、曲だけではない。それを鳴らす4人もまた「生きること」を自らの身体全体で表現していた。生き続けることの大変さと、それでも生きている奇跡。噛みしめるように、4人が "Mr.Children" を鳴らす。ツアーの千秋楽を終えた後、泣き顔のJENと言葉に詰まる桜井和寿。彼らは若いころとはまた違った形で、でもちゃんと「熱い」バンドのままだった。熱すぎるくらいの体温は、僕の目頭にも伝染した。

もちろん抱くのは「この先もずっとMr.Childrenを聴き続けていきたい」という思い。だけどそれ以上に僕の中で湧き上がってきたのは「生きたい」という人間としての根源的な欲求。彼らが、彼らの歌が、僕の「本能」を呼び覚ましたのだ。長い冬眠から目を覚ましたかのような身震いと、燃え盛る炎のような情熱。ここからまた、命を燃やして生きて行こう。そしてその"SOUNDTRACK"として、Mr.Childrenがきっとそばにいてくれる。そんな風に思えた2時間だった。

 

open.spotify.com

「そうだったらいいのにね」

家族が減った。飼い犬が死んだ。


小1の時からだから、15年の付き合い。噛まれ、吠えられ、甘えられ。実家から電話で「○○ちゃん、永眠しました」と告げられて、感情がぐちゃぐちゃだ。


僕は5年前に実家を出ているから、老いて萎んでいく様子をほとんど間近で見てはいない。だから「え?もう?」というのが正直な思いだ。


アイツとの思い出は書かないでおこうと思う。死者を想う悲しみはその人がそばに居てくれている証拠だから落ち込むことはない、という話を聞いたことがある。アイツが死んだ今、これを実践すべきだと思ったけれど、とてもそんな気分になれない。喪失と向き合うのは、何より難しい。


電話を切って、横に座る彼女に、「アイツ、死んだよ」と告げた。彼女はかれこれ4、5回は僕の実家に遊びに来ているから、アイツとは顔見知りの関係だ。よく懐いていて、いつもかわいがっていた。彼女はこう呟く。


「誰も死ななきゃいいのに。
みんなそうだったらいいのにね。」


何気ない「そうだったらいいのにね」で僕は涙が出そうになって、慌ててそっぽを向いた。普段は極端に理性的で現実主義者な彼女が、あまりに純粋無垢な言葉を発した驚きと、そんなことを言わせてしまった罪悪感。ふと横を見ると、彼女も大粒の涙を流していた。そうだよな、"生き死に"に、合理も不合理もないもんな。現実主義者だからこそ、そこから逃げる手段として「そうだったらいいのにね」を使おうとしているのだ、と気づいた。大きすぎる現実が自分を飲み込んでしまう前に。


そして僕もまた、彼女がくれた「そうだったらいいのにね」を繰りかえして、現実から逃げている。ちょっとだけ、悲しみが和らいだ気がした。たぶん今は、これでいいのだと思う。

俺と北枕

最近、ヤバいことに気づいてしまった。

5年前に引っ越して、部屋をレイアウトして、いい感じの暮らし(※当社比)して、プレバトに「男子大学生の生活才能査定ランキング」があったら常に「凡人」をキープし続けるくらいの22歳。割とちゃんとやってるつもりでいました。あるとき風水の動画を目にするまでは......

てかそもそも僕、「風水」というものが好きじゃないんですよ(各方面にケンカを売るな)。「水回りには神が宿るのできれいにしておくことが運を呼び込みます」って何だよ。言われなくてもきれいにしますって。「風水」というかただの「掃除のアドバイス」じゃん。主婦の友

まあ僕の溺愛する芸人が出演してたこともあって一応風水のコーナー全部見たんですよ。で、見終わった後せっかくだしちょっとぐらい気にしてみるかと思って、手始めに枕の方角を調べてみたわけです。すると...


いや、いくらなんでも真北すぎるだろ。

ゴリッゴリの北枕やないかい。5年間これで寝てたの俺?真北中の真北。マキタスポーツもびっくりの真北。

しかしまあこの5年間でヤバイことあったかって聞かれると、別にそこまでないんですよね。逆流性食道炎を拗らせて揚げ物一切NGになったとか、雨の日にタコ焼き食べながら歩いてたら滑って腕に割りばしぶっ刺さったとか、コロナ禍で行きつけの店が4つとも潰れたりとか、バ○トルの単発バイト初日に寝坊してほぼヤ○ザのオッサンから電話口で3分間怒鳴られ続けた挙句アカウントがブラックリスト入りしたりとか、ほかのバイトでは面接受かってシフト入った初日に来月閉店を知らされるとか、スーパーで買ってきた袋入りのジャガイモが6個とも虫食いだったとか。ね、別に大して運悪くなんかないんですよ。

......


......?


......え、これもしかして北枕のせい?



この後めちゃくちゃ東枕にした


 

青春とは、"時間が足りないこと"である。

とある縁で、母校の中高生の面倒を見ている。その中の一人に、結構な頻度で遅刻をする子がいる。高1で、塾に部活に忙しい。そしてバンドのギタリスト。「部活が長引いてしまったので遅刻します!ごめんなさい!」「電車寝過ごしてちょっと遅れそうです......いつも遅れてばっかりですみませんm(__)m」などとLINEを送ってくる。決して彼をあげつらってけちょんけちょんに批判したいわけではない。むしろ無性に彼のことを応援したい気持ちになる。彼と接していると、なんだか高1の僕を見ているような気分になるのだ。

ここからは、僕がナメられている可能性は(この文章の構成と僕の精神衛生上の問題から)とりあえず考えないこととしよう。

高1の僕も、ものすごく忙しかった。それこそ今の彼とまったく同じように部活・塾・バンドを掛け持ちしていた。その頃の僕の口癖は「ああ、時間がない」。親に誕生日プレゼントの希望を聞かれ「時間が欲しい」と答えて呆れさせた記憶がある、高校の授業では連日の疲れと睡眠不足からか爆睡していた。1限で寝落ちして、起きたら3限。教壇に立つ教師が変わっている......2限どこ行った?登下校の時間も貴重な睡眠時間。JRで30分。集中して寝る。もちろん寝過ごす。

しかし高1の僕は果たして本当に「忙しかった」のだろうか?おそらく答えは「NO」なのだ(高1の僕、ごめん)。塾は火土、部活は火木土、バンドは2週に1回。つまり月水金日がほとんどフリー。そして僕の母校は6限が14時半に終わり(!)、終礼がない(!!)、だから平日も週3で14:30から自由時間だった。客観的にみると、当時の僕は今よりもずっと時間的に余裕があったはずだ。つまりそれでも「忙しい」と感じていた理由があるのではないか?では、その「時間を食いつぶしていたもの」の正体は何だろう。

それこそが「青春」じゃないかと思うのだ。ここでいう「青春」は女の子とイチャイチャすることだけではない(そもそも男子校にはそういう類の「青春」は存在しないのだが)。将来の展望を思いふける。個性を探して途方に暮れる。友と語り合う。親や周りの大人に意味もなく反発してみる。全部「青春」だ。僕(たち)はきっと「青春」に忙しかったんだと思う。

「青春って、すごく密なので」(第104回 夏の甲子園 優勝監督インタビュー)

仙台育英の須江監督は、「青春」についてこんな表現を用いた。「密」だという理由で「青春」が高校生から取り上げられてしまう。修学旅行も卒業式も中止......感染対策としてはある程度合理的で仕方のないことなのかもしれない。でも、できることなら少しでも「青春」を味わせてあげたい、そんな想いが感じ取れる。コロナ禍における大人の心構えとして、そして何より「青春」の新たな定義づけとして、これ以上ないくらい素晴らしい。いや、コロナ禍でなくとも通用するだろう。青春とは、"すごく密なこと"である。自粛・制限続きで今にもはち切れそうな若者の生気・熱気が詰まった至言だと思う。


僕も彼に倣って、こんな風に「青春」を定義づけしてみたい。

「青春とは、"時間が足りないこと"である」

物理的に時間が足りないわけではない。なのになぜか「時間が足りない」のだ。サボりたいわけではない。だけどサボらないと「青春」はどこかにいってしまうのだ。迫りくる時間が僕たちを焦らせる。当時はそれを嘆いていた。時間の過ぎ去く速さ、自分の愚鈍さに悶えた。でも、今ならわかる。それも含めてぜんぶ「青春」だったのだ。

遅刻ばかりの彼と、時間が足りないと嘆いたあの頃の僕に、こう声を掛けたい。

「青春してるね!」



(2022/10/04)

声は、とっておこう。

最近、声を出さなくなってきた。

重要事項の連絡ぐらいしか声を出す機会がない。大学行ってもほぼ無声。何かを発したいときはノートかPCで十分なので、まあとにかく声を使う機会がない。あまりにも声を出さな過ぎて不安になり、家で一人で「あー」とか「うー」とか言ってみるのだが、声帯を使わなさ過ぎて凝り固まっているのか、ドアをこじ開けているようなギーギー音しか出ない。まったく建て付けの悪い声帯だ。

そんな僕だが、先ほど一番仲の良い友人とひっさしぶりに会ってきまして。まあ僕が親戚から届いた果物をおすそ分けするために呼びつけたんですが。大学正門のモニュメント下で待ち合わせたソイツは、研究生活で少しくたびれているように見えた(お気づきの方、鋭いですね。そう、この「友人」とは、このブログで最も低俗と名高い記事「オナラした後のパンツ触った後に素手でメシを食ったらお腹を壊すのか」に登場する「細菌を研究している親友Y」と同一人物です)。

「おう」「おう」。今日初めて発した声はぶっきらぼうな、だけども体温が乗り移った、生きた言葉だった。久しぶりすぎて、そして二人とも喋りが苦手すぎてお互いの目を見ずに話す。「これ、親戚から大量にもらったんだけど、食べきれないからやるわ」。二言目は上ずった。なんだか無性にうれしかった。ああそうだ、俺はコイツと話したかったんだ。僕の声はコイツと話すためにあったんだ。もしかしたら俺は、今日のためにしばらく声を出していなかったのかもしれない。

途中まで自転車を一緒に漕いだ。バカ話をしながら、並んで走る。あの教授は最近ハゲが進行して頭頂部とおでこが繋がった、とか超熟がやけに柔らかいなと思ったら全部カビだった、とか(コイツは本当に細菌の研究をしているのか??)。今週分の笑い声を使い切るくらい笑った。


コンビニに寄る。僕はちょうど切らしていた牛乳を、彼は(実験漬けでまだ夕飯を食べていないらしく)カツ丼弁当を買った。「お前、まだ毎日こんなもん食ってんのか?」「忙しくてな、作る気力がねえんだ」「なら俺んちに夕飯食べに来いよ」「マジ?じゃあ今週の金曜行っていい?」

コイツとまた、一緒に飯を食いながら、どうでもいい話で盛り上がることができる。なんて幸せなのだろうか。コイツの名前がスケジュール帳にあるだけで、僕は声を出さなくても今週を無事に乗り切れる気がする。いやむしろ、ほかのところで声を出したらもったいない。声は、その時まで大事にとっておこう。アイツのバカ話で、大声で笑うことができるように。



(2022/10/03)