almost...

分析と爆発のあいだ

「そうだったらいいのにね」

家族が減った。飼い犬が死んだ。


小1の時からだから、15年の付き合い。噛まれ、吠えられ、甘えられ。実家から電話で「○○ちゃん、永眠しました」と告げられて、感情がぐちゃぐちゃだ。


僕は5年前に実家を出ているから、老いて萎んでいく様子をほとんど間近で見てはいない。だから「え?もう?」というのが正直な思いだ。


アイツとの思い出は書かないでおこうと思う。死者を想う悲しみはその人がそばに居てくれている証拠だから落ち込むことはない、という話を聞いたことがある。アイツが死んだ今、これを実践すべきだと思ったけれど、とてもそんな気分になれない。喪失と向き合うのは、何より難しい。


電話を切って、横に座る彼女に、「アイツ、死んだよ」と告げた。彼女はかれこれ4、5回は僕の実家に遊びに来ているから、アイツとは顔見知りの関係だ。よく懐いていて、いつもかわいがっていた。彼女はこう呟く。


「誰も死ななきゃいいのに。
みんなそうだったらいいのにね。」


何気ない「そうだったらいいのにね」で僕は涙が出そうになって、慌ててそっぽを向いた。普段は極端に理性的で現実主義者な彼女が、あまりに純粋無垢な言葉を発した驚きと、そんなことを言わせてしまった罪悪感。ふと横を見ると、彼女も大粒の涙を流していた。そうだよな、"生き死に"に、合理も不合理もないもんな。現実主義者だからこそ、そこから逃げる手段として「そうだったらいいのにね」を使おうとしているのだ、と気づいた。大きすぎる現実が自分を飲み込んでしまう前に。


そして僕もまた、彼女がくれた「そうだったらいいのにね」を繰りかえして、現実から逃げている。ちょっとだけ、悲しみが和らいだ気がした。たぶん今は、これでいいのだと思う。