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分析と爆発のあいだ

菅田将暉演じる「男」はなぜ銃を捨てたのか(Vaundy『mabataki』)

mabataki / Vaundy:MUSIC VIDEO - YouTube

Vaundy『mabataki』、メロディーも歌詞も最高にいいんですけど、それと同じくらい、いやそれ以上にMVがヤバすぎて気絶しました。今回はまじめに考察してみます。ぜひMV片手に読んでみてください。それではいきます。

 

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このMVには3つの大事な要素がある。

1. 一本道
2. 銃
3. 手

一つずつ見ていきながら、タイトルの疑問を解決していこうと思う。

 

時系列

その前にまず時系列を整理しておこう。


0:00 銃弾を弄びながら歩く
0:52 男とぶつかる。弾倉に弾を込める
1:00 銃を構え、ぶつかってきた男を撃とうとする
1:56「少女」が初めて映る
3:00 銃を捨てる
4:00 座り込んでしまった「少女」に手を差し出す

 

1. 一本道

今回は男が歩いて来た方向を「愛/平和」、歩いて行く方向を「憎しみ/戦争」と考えてみたい。向こうから大勢の人が歩いてくる一方、男はその流れに逆らうようにどんどん反対側へ歩いていく。「愛」に向かっていく人を傍目に、男は「憎しみ」へ突き進んでいく。しかしある時、来た道を引き返し、愛に向かって走り始める。

 

2. 銃

このMVの中で、銃の役割は「構える」だけではない。「どんな風に挿してあるか」「どんな風に扱われているか」まで注目すると、大事なことが少しずつ見えてくる。

0:32 人に見えるようにズボンに挿してある
0:52 銃を抜き弾を込め、ぶつかってきた男の後頭部を撃ちぬこうとする
1:41 オーバーの中に銃を隠す
3:00 銃を捨てる

最初に銃を人から見えるように挿しているのは故意だろう。すれちがう人々を牽制・威嚇するために。にも関わらずぶつかってきた人がいた。男はそれを「馬鹿にしている」と捉え激昂し、ぶつかってきた男を撃とうとする。しかし撃てない。なぜか。答えは次の章で明らかになる。

 

3. 手

実はこのMVでは右手左手が明確に使い分けられている。見てみよう:

0:26 銃弾のやり場が分からず、両手で弄んでいる...①
0:52  右 弾倉に弾を込める...②
1:00   銃を構え、ぶつかってきた男を撃とうとする...③
1:12  頭に手を当てる...④
1:25  首に手を当て、自分の首を絞めようとする...④
1:40 右手でオーバーを持ち、左手と銃を隠す...⑥
1:50 その後何度か左右の手の上下を入れ替えながら腕組み...⑦
2:09 左  頭に手を当てる...⑧
3:00  銃を捨てる...⑨
4:00  座り込んでしまった少女に震えた右手を差し出す...⑩

こうしてみると「右手=愛、左手=憎しみ」だとわかる。以下詳しい解説。

① 愛と憎しみが、銃弾を使うか否かでせめぎあっている
② 本来「愛」を表すはずの右手が弾を込めた。愛だと思っていたはずのものが、憎しみに操られてしまった
③ 本来「憎しみ」を表すはずの左手が引き金を引けなかった。憎しみの中にも愛が残っていた
④ 右手を当てている=愛が頭を支配している、はずだった
⑤ 冷静になった自分の「愛」の部分が、②の行為を恥じて、自分を殺そうとしている
⑥ 恥ずかしくなって、自分の「憎しみ」の部分を隠そうとしている。
⑦ 時には右手(=愛)が左手(=憎しみ)を抑え、また時には逆も然り
⑧ 左手を当てている=憎しみが頭を支配しているということ。わずか1分の間に右手でも左手でも頭を触っており、男は愛と憎しみの間で激しく揺れ動いていることがわかる
⑨ 愛が銃を捨てさせた。左手は全く関与せず、憎しみが少しずつ遠ざかっていることを示している
⑩ さっきまでの自分と同じく憎しみに向かっていってしまいそうな「少女」に右手=愛を差し出そうとしている。まだ愛というものに慣れていない様子が「震え」で表現されている

 

総括

さて、最初の問いに戻ろう。

菅田将暉演じる「男」はなぜ銃を捨てたのか」

右手は銃を捨て、その代わりに少女の手をとった。そのきっかけはなんだろうか。ヒントは「少女」にある。「少女」は登場人物の中で唯一立ち止まっている人物だ。

「少女」が初めて映るのは1:56。彼女の目はぼんやりと「憎しみ」の方角を向いている。誰もが歩いているその中で一人だけ立ち止まっている。誰かが心配して声をかけてもいいはずだ。しかし誰も彼女の存在に気づかない。いや、気づいていたのかもしれないが、人々は誰一人として彼女を気に留めることなく、どんどん追い越していく。

「俺には関係ない」、男も最初はそう思っていた。

しかし歩けど歩けど、彼女の姿は目に焼き付いたままだった。なぜそんなにも目に焼き付いたのか。それは「瞬き」をちょうど目にしたからではないだろうか。「瞬く一瞬」が彼を変えてしまった。そして、この時確かに男は感じたのだ。

「この少女に手を差し伸べれば、何かが変わるかもしれない」

そして、右手を差し出すには、右手に握っている銃は捨てなければいけない。「愛」を示すには、暴力ではなく、手を差し出すしかないのだ。

そうして男は、銃を捨てた。


"その時は、いつも瞬く一瞬なのだ。"



......僕たちはどうだろうか。

「無関心」が加速していくこの世界で、
僕たちは"瞬く一瞬"に気づくことができるだろうか。

もう一度、思い合うようになるだろうか。




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余談:4:00のシーンについて。普通に生きていたらなかなか意識しないことだけれど、「向かい合った相手の右手を握れるのは右手だけ」ということを考えてみたい。左手だとうまく握り返せない。つまり男が差し出す右手を握り返すには、少女にも右手を差し出す必要があるということ。彼が控えめに差し出す右手は、「憎しみではなく、もしよかったら愛で応えてくれないか」と、少女と、それから過去の自分にやさしく問いかけている。